千本公孫樹は、葛飾八幡宮の御神木として代々大切に保護されてきた樹木で、推定樹齢は1200年を超えると言われています。
かつての落雷によって地上6mほどの高さで幹が折れましたが、その後、その周囲から伸びた多くのひこばえ(萌芽)が成長したことで、今のような樹形になったと言い伝えられています。千本公孫樹の名も、多数の樹幹が寄り集り、まるで一本の大樹が根元からのびているように見えることに由来します。根回り10.2m※、目通り(人間の目の高さ)10.8m※(※文化財指定時の記録)で、根回りより目通りの方が太くなっているのも特徴の一つです。公孫樹には雄株と雌株がありますが、この樹は雄株のため実はつけません。
江戸時代後期の1834(天保7)年に刊行された、現在の旅行ガイドブックといえる「江戸名所図会」には、
「此樹のうつろの中に小蛇栖めり、毎年八月十五日祭礼の時、音楽を奏す。其時数万の小蛇枝上に顕れ出づ。衆人これを見て奇なりとす。」
訳:此樹の空洞の中に、常に小さな蛇がすんでいたようだ。毎年8月15日、祭礼の時、音楽を奏でるその時、数万の小さな蛇が枝上にあらわれ出る。人びとはこれを見て、不思議だと言っている。
とあります。
古来千本公孫樹には白蛇が棲むと言われ、その姿を見たものは幸福を授かり、長寿になるとの言い伝えがあります。また乳の出ない母親が公孫樹の気根と呼ばれる乳房の形に似た瘤を削り、煎じて飲むと、乳の出が良くなるという言い伝えから、育児守護の信仰があります。(現在は国指定天然記念物につき、樹木保護の為削ることはできません。)
千本公孫樹は1931(昭和6)年2月20日に現在の市川市域(当時は八幡町)において初めて国指定天然記念物に指定されました。
葛飾八幡宮は、889年~898年(寛平年間)に宇多天皇の勅命により京都の岩清水八幡宮より分霊し、下総国の総鎮守八幡宮として建立されました。古来より武神として知られ、源頼朝、太田道灌、徳川家康など多くの武将から信仰されてきました。境内には千本公孫樹の他、千葉県指定有形文化財の元亨の梵鐘、市川市指定有形文化財の随神門など、貴重な文化財があります。